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2008年11月18日

うちの祖父さんと、戦争のはなし

俺の親父は戦争中に両親を亡くしたので、じじいというと母方の、ということになる。
祖父さんは俺が中学校2年の時に亡くなった。元気だったのにある日突然内臓の病気で逝ってしまった。今から四半世紀ほども前のことだ。あまり深く話すこともなかったが、当時は俺と姉しか孫がいなかったせいかとても優しくしてくれた。
でも酒グセが悪くて、酔うと手に負えない。いまだに日本酒の匂いを嗅ぐと祖父さんを思い出す。

亡くなってから家族で思い出話をしている時に戦争中の話になった。
「じいさんはガ島に行くとこだったんだぞ。」
と親戚の叔父さんが言う。ガ島というのはソロモン諸島のガダルカナル島のことで、出兵した日本兵の大多数が戦死した島だ(2万名強亡くなっている)。
「でもガ島に行く直前に病気になったんだと。だから行かないで済んだから助かったんだと」
それを聞いてはっとした。ガダルカナルに行ってたら祖父さんは死んでいたかもしれない。そうなると俺のお袋は生まれなかったかもしれない。そうなると、俺は・・・。歴史にifはないけど、そんなことをグルグルと考えてしまった。
祖父さんとはあまり話せなかったが、死んでからでも分かることはある。俺はなんで祖父さんが優しくしてくれたか、戦争の話を聞いてから分かった。

祖父さんは俺が生まれたときにオリンパスの35DCというカメラを親父に買ってくれたそうだ。そのカメラはまだ小さかった俺が首に懸けるのが習わしになった。昔の写真を見ると、俺を撮るはずのカメラを俺が使い方も知らないのに首から懸けているのがちらほらあって、笑える。そのカメラはまだ実家にあるが、ついにシャッターの巻き上げが動かなくなってしまった。ポジフィルムを入れると綺麗な発色をして、レンズも明るくて気に入っていたんだがなあ。いつか直せればいいけど。


最終的に祖父さんは兵長になって、終戦を迎えた。祖父さんが死んでひと月くらい経った後、俺が塾に居るときに道を訪ねに来た紳士がいた。
「この辺りで亡くなった○○○○さんの家を探してるんですが」
困ったことにバカな俺は祖父さんの本名を知らなかった。アダ名しか聞いたことがなかった。
なにせ田舎だから近所ともども同じ姓なので、区別するには名前しかない。ひさじ? え、俺の祖父さんそんな名前なの?と思いながら、
「たぶんうちの祖父さんだと思うんですが、階級は兵長でしたか?」
と聞くと、相手の方が嬉しそうに笑って
「そうです、そうです」
と答えてくれた。
まさか40年近く経って階級の話になるとは思わなかっただろう。この人も戦争に行ったんだな、きっと戦友なんだろうな、と思って実家への道を教えた。


そんなこんなで祖父さんは死んでしまったが、祖母はまだ元気で畑仕事をしている。会って話すと、
「おれのわげえころはつまんねがった」
と愚痴っぽくこぼす。
そりゃそうだろうなあ、戦争中だもの。
でも祖父さんは生きて戦地から帰った。それから40年近く生きた。
だから祖母さんはそういうけど、ウチはまだ幸せな方だと思うのだ。



世には帰りたくても帰れなかった人もいるのだ。
待っていたけど叶わなかった人は多いのだ。
当時の人々の気持ちが分かる文を見つけたのでちょっと、引用しますね。


「ふたつの悲しみ」 
杉山龍丸



これは、私が経験したことです。
第二次世界大戦が終わり、多くの日本の兵士が帰国してくる
復員の事務についていた、ある暑い夏の日の出来事でした。
私たちは、毎日毎日訪ねてくる留守家族の人々に、
貴方の息子さんは、御主人は亡くなった、
死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた。

留守家族の人々の多くは、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装が多かった。
そこへ、ずんぐり肥った、立派な服装をした紳士が隣の友人のところへ来た。

隣は、ニューギニア派遣の係りであった。
その人は、
「ニューギニアに行った、私の息子は?」と、名を言って、たずねた。
友人は、帳簿をめくって、
「貴方の息子さんは、ニューギニアのホーランジャヤで戦死されておられます。」
と答えた。
その人は、その瞬間、眼をカッと開き口をピクッとふるわして、
黙って立っていたが、くるっと向きをかえて帰って行かれた。
人が死んだということは、いくら経験しても、又いくらくりかえしても、
慣れるということはない。
いうこともまた、そばで聞くことも自分自身の内部に恐怖が走るのものである。
それは意識外の生理現象を起こす。
友人は言った後、しばらくして、バタンと帳簿を閉じ、頭を抱えた。
私は黙って、便所に立った。

そして階段のところに来た時、さっきの人が、階段の曲がり角の広場の隅のくらがりに、
白いパナマ帽を顔に当てて壁板に持たれるように、たっていた。
瞬間、私は気分が悪いのかと思い、声をかけようとして、足を一段階段に降ろしたとき、
その人の肩は、ブル、ブル、ふるえ、足もとに、したたり落ちた
水滴のたまりがあるのに気づいた。

その水滴は、パナマ帽からあふれ、したたり落ちていた。
肩のふるえは、声をあげたいのを必死にこらえているものであった。
どれだけたったかわからないが、私はそっと、自分の部屋に引き返した。


次の日、久しぶりにほとんど留守家族が来ないので、やれやれとしているとき
ふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、
チョコンと立って、私の顔をマヂ、マヂと見つめていた。
私が姿勢を正して、なにかを問いかけようとすると、

「あたち、小学二年生なの。おとうちゃんは、フィリッピンに行ったの。
おとうちゃんの名は、○○○○なの。いえには、おじいちゃんと、
おばあちゃんがいるけど、たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。
それで、それで、わたしに、この手紙をもって、おとうちゃんのことを
きいておいでというので、あたし、きたの。」

顔中に汗をしたたらせて、一いきにこれだけいうと、大きく肩で息をした。
私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、復員局からの
通知書があった。住所は、東京都の中野であった。
私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。

「あなたのお父さんは――」

と言いかけて、私は少女の顔を見た。

やせた、真黒な顔、伸びたオカッパの下に切れ長の長い眼を、
一杯に開いて、私の唇をみつめていた。

私は少女に答えねばならぬ、答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。

「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです。」

といって、声がつづかなくなった。

瞬間少女は、精一杯に開いた眼をさらにパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。
涙が、眼一杯にあふれそうになっているのを必死にこらえていた。
それを見ている内に、私の眼に、涙があふれて、ほほをつたわりはじめた。
私の方が声をあげて泣きたくなった。

しかし、少女は、

「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、ぢょうきょう、ぢょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの。」

私はだまって、うなづいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、
紙の上にボタ、ボタ、涙が落ちて、書けなくなった。
少女は、不思議そうに、私の顔を見つめていたのに困った。
やっと、書き終えて、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。

涙一滴、落とさず、一声も声をあげなかった。
肩に手をやって、なにかいおうと思い、顔をのぞき込むと、下唇を血が出るようにかみしめて、
カッと眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、

「ひとりで、帰れるの。」

と聞いた。
少女は、私の顔をみつめて、

「あたし、おじいちゃまにいわれたの、泣いては、いけないって。
おじいちゃまから、おばあちゃまから、電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの。」
と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなづいてみせた。

私は、体中が熱くなってしまった。
帰る途中で、私に話した。

「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって。」

と、小さい手をひく私の手に、何度も、何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。




最初にこの文を読んだときは泣きました。
でも、かといって、戦争反対!と叫ぶつもりはないです。
俺の祖父さんは戦争を拒めない世界で戦争に行く運命だった。運良く帰ることができた。
そんな祖父さんと違って、緩い時代に生まれた自分が、祖父さん達のような兵隊さんと同列に戦争の事を語ることは出来ない。おこがましいと思う。
ただ言えることは、戦争は起きないにこした事はないが、有事の際には戦争もやむなし、戦うべき時には戦うべし。そういう心構えでいないと、今の日本ではただ侵略されてしまうだけだという事。

屈辱にまみれなければ平和を維持できないんなら、それは本当の平和じゃない。
世界大戦に参加した兵士の皆さんも、現役の軍人さんも、国のために命を賭す。でも果たして自分にそんな事が出来るのか、自信がない。だから尚更尊敬するし、畏怖の念も持ち続けたい。
少なくとも彼らのお陰で今こうして生きていられるという意識を持つことしかできないが、せめてその気持ちを大事にしていきたいと思う。


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posted by Dyon at 03:42| 神奈川 雨| Comment(2) | TrackBack(0) | Dyonメンバーのダラダラ噺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
mibuさんの記事、あんまり真剣に読まないんだけど、(って、おいっ。。。)
今日は見入ってしまいました。。。

素敵。。。おじいさん。。。
Posted by やまだmk at 2008年11月18日 06:26
この時代の日本人は、強いです。戦争は人を強くします。
Posted by 山科すず at 2008年11月18日 15:58
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